先生紹介

Dr.Grant R.Reid DC(ドクターレイド)

ドクターレイド写真

ドクターレイドはカナダのバンクーバー生まれですが、育ったのは米国でありこれまでの人生の大半を米国で過ごしてきました。

18歳のときにオートバイの事故にあい、筋肉は衰えたままになり、正常に機能する力を失いました。 それは1回の腕立て伏せもできないほどの重傷でした。

友人の勧めで、家族に励まされつつカイロプラクターのもとを訪れると、徹底的な検査の後、フランク・ヤング先生から上部頚椎にサブラクセーションと損傷があると説明され、矯正を勧められました。
いろいろな分野の4人の専門医から治療を受けたものの、ドクターレイドに最終的な効果をもたらしたのはカイロプラクティックでした。

ドクターレイドはいつの日かカイロプラクターになることを決意したのです。

ドクターレイドは1983年にライフカイロプラクティック大学のサブラクセーション科を卒業し、自ら経営するカリフォルニアのクリニックで9年間実務に就き、さらに6年間ワシントン州で実務経験を重ねました。

ワシントンで開業中に、ワシントン州から「ワシントン・ワーカーズ・コンペンセーション・コンサルタント」に就任するよう要請を受けました。これは州政府からの依頼で患者さんを治療することを意味しており、ワシントン州の全ドクターのうち、こうした要請を受けるドクターは5%に満たないという、大変名誉な申し出でした。

日本人の国民性などから日本を好きになり、日本のカイロプラクティックに尽力したいという希望を持って、1996年にワシントンでの順調な仕事を捨てて、日本にやってきました。

Dr.Grant R.Reid DCは、只今米国帰国中。
ご本人の意志により、‘渋谷笹塚CBPセンター’に名前と籍を残してあります。

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田中 健之 先生(Dr.Takeshi Tanaka)

田中先生写真 高校1年生の時、ハンドボール用のボールを使った遠投競技で、力いっぱい投げたボールは地域で一番の記録を出したのですが、その代償として腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。

階段は昇ることは何とかできるが、降りることができない。椅子から立ち上がるのに5分もかかる・・・

いろいろな種類の治療に通いましたが、結局完璧に治してくれたのはカイロプラクティックでした。

日本におけるカイロプラクティックの法整備はいまだ十分ではなく、各団体の自主規制の下、教育が行われています。

田中先生は3万人以上が所属する日本カイロプラクティック連合会で、当時(2000年)3人しかいないハイクラスカイロプラクティックセミナーの専任講師を担い、1,000名以上の先生たちの教育にかかわってきました。

現在、国内のいろいろな地域を回って地元の先生とカイロプラクティックの啓蒙普及活動を行いながら、渋谷区笹塚にドクターレイドとともにカイロプラクティックセンターを開き、健康に関して最高レベルのサービスの提供に人生のほとんどの時間を捧げています。

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Special Thanks:::
「レポート -Reports For Doctors-」の内容は、Dr.Grant R.Reid DCのご好意により、彼の論文を多数、引用させていただいております。