スタッフ紹介STAFF

田中 健之院長

高校1年生のとき、ハンドボールの遠投競技で地域一の記録を出しました。しかし、その力投の代償として椎間板ヘルニアになってしまったんです。どうにか階段を昇っても降りることができない、椅子から立ち上がるのに5分もかかる…。学校生活どころか日常生活もままなりません。治したい一心で、いろいろな種類の治療に通いました。その中で唯一、腰を完璧に治してくれたのがカイロプラクティックでした。 カイロプラクティックは日本において民間療法という位置付けです。法整備も不十分です。しかし、カイロプラクティックは本当に素晴らしい技術だと断言します。高校生の頃の私のように、さまざまな治療の末にあきらめかけている方、ぜひご相談ください。毎日をもっとポジティブに楽しみたいという方も大歓迎です。あなたもぜひ、カイロプラクティックで明るい人生を獲得してください。

日本とアメリカ、双方で技術を磨いたカイロプラクター。1997年、日本カイロプラクティック連合会のハイクラスカイロプラクティックセミナー専任講師に着任。当時3人しかいなかった専任講師のひとりとして、1,000名を超えるカイロプラクターの教育に携わってきました。 1999年、ドクターレイドとともに渋谷笹塚カイロプラクティックCBPセンターを開設。ドクターレイド帰国後も院長として日々多くの方々の健康づくりを支えています。モットーは「健康に関する最高レベルのサービスを提供する」、施術中の口癖は「ん〜ッ! サイコー!! 」。 また、日本カイロプラクティック連合会(JCA) 名誉講師として日本各地を周り、地元の先生とともにカイロプラクティックの啓蒙と普及にも尽力。人生のほとんどの時間をカイロプラクティックに捧げています。

米国カイロプラクティック 医師学会正会員
NPO日本カイロプラクティック教育諮問委員会講師
日本カイロプラクティック連合会名誉講師
CBP seminar 3.4 修了

Dr. Grant R. Reid D.C.(ドクター レイド)

私は18歳のときに巻き込まれたオートバイ事故で筋肉が衰えたままになり、腕立て伏せがたったの1回もできないほどの重症になりました。 友人の勧めでカイロプラクターのもとを訪れると、徹底的な検査により上部頚椎にサブラクセーションと損傷があることが判明、矯正を勧められました。いろいろな分野の専門医から治療を受けましたが、最終的に効果をもたらしたのがカイロプラクティックです。これをきっかけにカイロプラクターになることを決意しました。 アメリカでキャリアを積み、日本でもカイロプラクティックの普及に尽力しました。現在は再びアメリカでD.C.として患者さんの治療にあたっています。日本でもカイロプラクティックがますます普及し、1人でも多くの方が笑顔を取り戻せるよう願っています。

1983年ライフカイロプラクティック大学を卒業、アメリカの医療国家資格D.C.(ドクター オブ カイロプラクティック)を取得。カリフォルニアにクリニックを開業し9年間D.C.として多くの患者さんたちを救う。ワシントンへと移って6年の実務経験を重ねる中、州の要請により「ワシントン・ワーカーズ・コンペンセーション・コンサルタント」に就任(これはワシントン州の全ドクターの5%にも満たない大変名誉なことです)。1996年、アメリカでのキャリアを捨てて来日。1999年には田中先生と渋谷笹塚カイロプラクティックCBPセンターを開設するなど、日本のカイロプラクティックの普及と発展に注力してきました。 *Dr.Grant R.Reid DCは、只今米国帰国中。ご本人の意志により、渋谷笹塚カイロプラクティックCBPセンターに名前と籍を残してあります。

諏訪 瑞希

元々プロダンサーを目指していましたが、左足首の靭帯を損傷してから今までにない下半身のむくみ、生理痛、腰 痛に悩み、同時にまっすぐ歩けなくもなりました。一度損傷した靭帯は戻らず、下半身の肥満に悩み、足が少しでも 見えるスカートは履けなくなりました。そんな私がカイロに出会ったのは22歳でした。治らなかった不調と肥満は カイロで改善したのです。これまでの多額の出費、整体を通い回った数も沢山ですが、美容カイロのおかげで私は 20代の時より自信が持てるようになりました。悩みは様々だと思いますが、私の身体にも原因があり、解決策があっ たように、あなたにも必ずあります。どんなお悩みでも構いません。一度お話きかせてください!

全健会会員 / 日本カイロプラクティック連合会員